2012年夏 パラオでJICAの仕事をしていた友人から「現地小学校」の2カ所に、美術の授業がなく手紙を書く習慣がない(住所がない)と言う。
何が出来るか分からないが友人と2人で4泊5日でパラオに向かった。
激戦地の島ではあるけど、あえて私は何も調べずに向かう。100円ショップの紙や絵の具の準備をしている最中も 子供達のキラキラした目がいくつも窓に並んでいて、とてもかわいい。
「手紙の事をJICAの人に通訳してもらい」床にブルーシートを引いて、「大好きな人の絵と想いを届ける言葉」を描いてもらった。
どちらの小学校も父兄の参加や差し入れもあり楽しく大盛況に終わった。
市場では、陽気な日本語を話すおばさんたちとおしゃべりをし、スーパーでは「私のお父さんは日本人です」と何度かカタコトで話しかけられた。
物産館で、貝のアクセサリーを売るおばあさんと現地の友人が話していた。
ふと気がつくと友人とおばあさんは、涙を流しながら戦争末期の激戦区ペリリュー島の話をしていた。
「太平洋戦争中、駐屯していた日本人は、親切で優しく色々助けてもらった。日本人学校では日本の歌を教えてくれた」と。
戦争末期のある時「明日 アメリカ兵が攻めてくるから早く逃げなさい!」と知らされ、村人は一目散に山へ逃げた!
「次の日戻ってみると島一帯の海岸線がどこまでも血で真っ赤に染まっていて、みんな死んでいたの!」
壮絶な戦いで12000人が死に 生き残ったのは34人だったペリリュー島の過酷な戦場の凄惨な話を、その時私達は泣きながら聞いた。
戦後80年の今「ペリリュー島 楽園のゲルニカ」という映画が封切りられた。
戦争がもたらす狂気は、あまりにも凄惨で実写では作れなかったというアニメ映画だ。
シュノーケルをした島巡りのボートの上から見た、青い海と豊かな自然の大きなペリリュー島。
多分私は映画を見に行けないだろう、と思う。
いつも短い文で旅の様子を書こうと思っても、長くなってしまう。
最後まで読んで頂きありがとうございました。



